じぶんのクセに気づくこと
さてさて、先ほどの記事にホワイトボードミーティング®のセミナーを受けてきたことを書きましたが、そこで気付いた、「私のクセ」について。
前回受けた、ベーシックセミナーの時は、予備知識なく参加して、クセだらけで、協調性のなさと頑固さに気づきに後から落ち込んでしまった、いて座の私。
【参考文献】
今回気付いたことがですね。
私の「書き癖」です。
私は複雑な状況をいかにして理解しやすい状態にするのか?という事を主眼に置いて図解化しています。
それは、私が他人のいう事を理解するのに時間がかかるという悩みから来ているもので、人間からでた生きた言葉を私でも理解できるようにシステマチックに「情報」として処理するという作業をしているような気がしています。(あくまでも自己中心的)
それが、書き方にも表れているのではないかと。
ただ、今試験勉強中の産業カウンセラーでも思ったことなのですが、理解するのは大事だけれど、話した人の「生きた言葉」それ自体も大切なものなのですよね。
産業カウンセラーのカウンセリング実習では、クライアントの言葉をそのまま伝え返してみて、クライエントが自分の言ったことを再確認するという場面があります。
言葉には力がある、ペンを持つ人には力があるのだとしたら、聞き手のフィルターにかけるのではなく、聞いたことをありのまま…ありのまま書くということも大切だなと思いました。
グラフィッカーをしていても、解釈違い(厳密にはすべての人の解釈が違うのだが)で書き損じることもあります。
(余談:ピリッとしたフィードバックをくださる、FAJ関西支部運営の皆さんいつもありがとうございます。フィードバックって大切なのだけど、なかなか普段は利害関係があって遠慮してフィードバックできない/されない)
結局無意識のバイアスに気づけ!って話か?
相手が言っていることをそのまま受け止めることと、それを解釈する過程で自分がどう理解したのかをメタ認知して、必要に応じてフィードバックを乞うたり、確認したりという一連の作業が必要なのですねぇ・・・という、
なんとも、まとまったような、散らかったような、そんな感じです。
思い返すと、産業カウンセラーの講座、、、辛かったけど勉強になったな。
って、まだ試験受けてないんですけどね。
いけないいけない。勉強しなくては…!ピンチ!
(所感)ホワイトボードミーティング®~アドバンスセミナー~に参加してきました♪
注意)あくまでも筆者の感想ですので、ご了承ください。表現に誤りがある場合は教えていただければ幸いです。
内輪の話ですが、「犬も歩けば棒に当たる」レベルで、「セミナーに行くと、必ず一人は日本ファシリテーション協会(FAJ:ファジと呼ぶ人もいるが、私は呼ばない)の人と出会う」という七不思議(あと6つは何だ?)があります。
そういったファシリテーションのお仲間の方複数人からおススメいただいていたホワイトボードミーティングのセミナーに行ってまいりました。
What's ホワイトボードミーティング®?ということなのですが、
ど素人が説明するよりも、HPを見た方がよいと思います。
なので、バッサリ割愛。
会社とか学校とかで、ホワイトボードや黒板ってあると思うのですが、
(ないこともあるけれど)
①会議で使わない(ならいつ使うんだ)
②会議で使っても人によって使い方が違ったり、ただの「板書」として使う
↑こういうことってありませんか?
ホワイトボードミーティング®には、確か6つの「やり方」があって、
それのうちの5つをベーシックセミナーとアドバンスセミナーで学びます。
私の数少ない受講歴で思ったこと
①誰でも書きながらファシリテートできそう
②実践してナンボのもん
①手順が決まっているので(次はどこに何を書く等)、「自由に書いても良いよ!」と言われて困るという事が無いように思いました。逆にフリーダムな人は窮屈?
なので、だれでも練習すれば出来るようになると思います。
書き事となると「センスの良しあし」が問われることが少なからずありますが、「私にはセンスがないからできません!」の言い訳をピシャッと斬ってくれそうな気がします。
②そういうわけで、いかにたくさん実践するか!が重要のように思います。
・・・どんなことでもそうだと思うけれど。
学習して、「ああ!いい事学んだね!」でおしまいになりません。いやできません。
ファシリテーションの勉強をしていたら、ありがち?な、
a)多分20年後には役に立つかも
b)面白いんだけど、実践的…?
c)すごくいいんだけど、難しすぎて無理
(もちろん、それぞれの学びはとても貴重で実り多い)
そういったことはなく、The実践的!
a)きっと今役立つ
b)実践的!
c)慣れないと大変だけどいたってシンプル
なので、わかりやすい!という優しい一面もありながら、
実践の荒野にポイッと放り込まれるような、厳しい愛も感じます・・・
(あれ?違うかな)
決まりがある事はちょっと窮屈かもしれないのですが、
基準がある事で、気付く自分のクセもあったりします。
それはまた後程。
ハッピーに生きたければマシュマロになれ!(←怪しい)
さて、板ばさみ歴7年の板ばさみコンシエルジュもーりーです。
嘘です。適当に言いました。
昨日、ファシリテーション協会定例会にて、KFKF会(詳しくはちょっと前の記事を参照)でお世話になっているナミさんと、プラプラ移動しながら、私が突然口走ったのが事の発端です。
サラリーマンでもサラリーマンでなくても、
犬も歩けば棒に当たる勢いで、板に挟まれるのが世の常なので、
「何に挟まれていると思っているのかを可視化」して、
「その状況において、何を求めて、どうしたいのか」を引きだして行動変容に結びつける、板ばさみコンサルタントが居たら面白いね!という話です。
(そこまでの話はしていないと思うけど)
板ばさみの代表格と言えばこんな感じ。
しかしです。
板ばさみが世の常という事は、
すなわち、
(適当すぎる絵)
私たちは、板さん役と挟まれるさん役をジュングリに演じているのではないかという疑惑です。
(定例会のワークのなかで、私が挟まっていると思っている状況と逆の立場の方が居られたので、なおの事そう思ったのです。詳しく言うとデンジャラスなのですが、非常に興味深い・・・)
つまり、私、板さんかもという認識をすることがまず第一なのでは・・・
(ああ…日本人らしい…)
そこで、エニアグラム多分9の私が平和的に解決する方法として、
マシュマロになれ!という、極論。(松岡しゅうぞうさんもビックリ)
それも、スモアになるような、アツアツトロトロのマシュマロ。
挟まれてなんぼの人生において、一緒に挟まっているチョコ(という名のわだかまり)を溶かしつつ、クラッカー(例:上司)とクラッカー(例:部下)と結びつけ、一緒に食べて美味しい…!(尊重しあえる場づくり→より良いパフォーマンス!!)
(なんてけなげなの!!)
そうこうしていると、
いつの間にか皆がマシュマロになって、
心地よい空間になるのでは…
なーんて。妄想してしまいましたとさ。(やっぱり私は変な人だ)
ワークをしながら、最近の私は、瓦せんべいのように挟まれてペシャンコでカチカチになっているような気がしました。(瓦せんべいはおいしい)見た目だけでなく、マインドも柔軟でゆとりある人間でありたいです。
板ばさみの可視化はいつでも私まで。って
嘘です。
そういうフレームワークもあると思うので、ぜしぜし探してみてくださいねー!
もーりー